多良崎城は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて吉田里幹によって築城され、吉田氏は多良崎氏と名乗ったという。
しかし、幾度かの城主交代の後、廃城となってしまったそうである。
心霊スポットとしては、アンビリバボーで紹介され、多良崎城跡にはたくさんの自縛霊が存在し、多良崎城の手前を走る道路でも幽霊が出没するそうだ。
激せまの二車線道路をしばらく走ると、左の写真の多良崎城跡の入り口にある石碑が見えてくる。
駐車場などないので、路駐していざ出発。
道をしばらく進んだけで、気分が悪くなってきた。
これが霊障なのかわからないが、ここはただならぬ雰囲気である。
しばらく進むと、一の木戸跡に赤い看板があった。
多良崎城跡を全部探索してわかったのだが、どうやらここは、城の跡形もないただの原っぱで、昔何かあった部分の跡に赤い看板をさしこんであるだけのようである。右の写真は三角点である。
三角点とは、測量をする際の基準点となるものだ。
しかし、こんな変な三角点はあまり見ない。
たくさんあった赤い看板の一部。本当はもっとたくさんある。
多良崎城跡のちょうど中間点くらいから、女性のしゃべり声が聞こえ始めた。
しかも、空耳レベルではない。
当然、女性はおろか人はまったくいない。
多良崎城跡の両脇には、霊園とゴルフ場があるのだが、そこから聞こえてくるような声の距離でもない。
管理人一人でいる心霊スポットで謎の女のしゃべり声・・・。
管理人は走りました。ダッシュで逃げました。
ダッシュで走り抜けた先には広い野原があった。
遠くに亀の甲羅のようなものを発見。近づいてみると、どうやら多良崎城の歴史が書かれた石物のようだ。
ちなみにこの野原には、大きな穴ぼこがいっぱいあるので、夜に訪問する際には気をつけたほうがいいだろう。
管理人は運良く元の道を引き返すことなく、亀の甲羅の近くから道路に出ることができた。
しかし、多良崎城跡を出ても女性の声は時々聞こえた。
この写真の看板がその道路沿いにあった。
そして、急いで多良崎城跡を後にしたのであった。 おしまい
調査結果
まず、ひとつ忠告したい。夜はここに行かないほうがいいと思います。
霊感のかなり微弱な管理人でさえ、何か感じるものがここにはあった。
もし、霊感の強い人がここに行ったら憑依される危険性があるかもしれない。
再度言うが行かないほうがいい。
2006年9月現在、管理人は100回以上心霊スポットに訪れているが、奇妙な体験をしたのは神流湖とここ多良崎城跡だけである。
単純な幽霊遭遇確立は2パーセント以下。
この低い確率のなかで多良崎城跡において幽霊体験をしたのだから、ここはそれだけヤバイ場所ということになる。多良崎城跡の探索終了後、原っぱのなかで何度も聞いた声の主を見つけようと思い、辺りを車で走って調べてみたが、管理人以外の車はなく、人のいるような建物・民家もなかった。
管理人の出した結論は、あの声の主は人間ではないということだ。