所在地 | 埼玉県所沢市北野 → NO MAP |
噂 | 武士の霊 |
危険度 | レベル2 |
白旗塚のある小手指ヶ原は、元弘3年(1333)新田義貞が鎌倉攻めの時に鎌倉幕府軍と激戦を交わした場所であると伝えられている。
白旗塚の名称は、新田義貞が源氏の白旗をここに掲げたことから名づけられたそうである。
その合戦から約700年たった今でも、夜な夜な鎧を身につけた武士の亡霊たちが白旗塚の周りを彷徨っているという目撃談が多く語られている。
白旗塚のかなり手前から、上の写真のような道標がたくさんあって、しかも下の写真の石碑が車からすぐ見えたので、比較的簡単に辿り着くことができた。
白旗塚の周辺は、住宅が多く学校もある。当然ではあるが、ここが以前戦場であったという面影はない。住宅が多いので、深夜に肝試しをする場合は、静かにやったほうがいいだろう。
石碑のすぐ脇にあった。白旗塚に関する説明書き。
左の写真の道の先に白旗塚がある。右の写真はこの道の途中にあったにわとり小屋
である。おそらく近くの学校が飼っているにわとりではなかろうか。
白旗塚に上る階段の付近にあった石碑である。
以下の内容が刻まれていた。
「古武将の御魂祭れりこの塚を護り通せと先祖より受此の塚を壊せし者は忽ちに霊魔を受けて死するやもあり武蔵野の小手指ヶ原古戦場月の光は変わらざりけり」
これも階段付近にあった注意書きである。「塚を荒らさないで下さい」と書かれている。上記の石碑にも「塚を壊せし者は忽ちに霊魔を受けて死す
る」といった記述があることから推測するに、近くに学校があるので、そこの悪ガキが塚を破壊してしまって、怒った管理人がガキをビビらすために上記の石碑を建てたのではないだろうか。(石碑自体もそんなに古くない)
(あくまで管理人の勝手な推測)
上記の石碑脇の階段をあがると、上の写真の白旗塚がある。
下の写真は上の写真の向かって右にある石碑をアップした写真である。塚自体かなり古いようで所々崩れていた。
この写真だとよく見えないが、塚の後ろには供養塔婆も建っている。
調査結果
白旗塚のすぐそばには「北野中学習農園」なる畑があり,この塚は、地元の人にとっては心霊スポットであるという認識は乏しいのではないだろか。
また、塚の真横に民家があるので、もし本当に鎧武者の亡霊が出現するのであれば、その真横の家の住民にとってはシャレにならないことであろう。